今治 市 古谷。 多伎神社(今治市古谷)

奥の院 前述のとおり、当社の始まりは奥の院の磐座信仰と言われます。

一説には、越智氏の宗社大山祇神社が海上の大三島に鎮座していたため、陸地での祭祀のため代わりに多伎神社を祀ったともいわれます。

一説に大己貴女多伎比賣命。

さらに、川に沿って道路を登ると、石橋があり、橋を渡ると境内。

傘をさしながらの撮影は、非常に煩わしいのだ。

その後、現在地に遷座し、貞観年中に神階を授けられている。

社伝によれば、奥の院の磐座信仰に始まり、崇神天皇のときに饒速日命六代の孫伊香武雄命が「瀧の宮」の社号を賜り初代斎宮になったといいます。

往古は朝倉郷と高市郷の両郷の氏神であったが、 ある時、一方の氏神にしようということになり、 奥の院の石の向きで決することとした。

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かつては多伎宮、瀧宮牛頭天王、瀧宮、瀧神社、多伎宮牛頭天王等とも称されました。 松茸石 多伎神社の陰陽石の一つである。 三代実録によれば、貞観2年(860)閏10月20日癸亥条に「授伊豫国従五位上瀧神従四位下」、 同8年(866)閏3月7日壬子条に「伊豫国従四位下瀧神…従四位上」、 同9年(867)2月5日乙亥条に「授伊豫国従四位上瀧神正四位下」、 同12年(870)8月28日戊申条に「授伊豫国…正四位下…瀧神…正四位上」と、10年の間に4度の昇叙。 道端に「多伎宮」と書かれた小さい案内が立っています。 (三代実録) 醍醐天皇の延喜年間(九〇五年)式内大社(伊予国に七社)に列格の光栄に預かり、皇室より久しく特別の待遇に浴し国司、守護職、領主をはじめ庶民の信仰を集めました。 また、予定賃料収入が確実に得られることを保証するものではありません。 翌朝、人々が行ってみると、高市郷の方を向いていたので、 以後、高市郷の氏神となったという。 しばらく行ったところで沢を右手に渡って急斜面を直登。 現在は境外摂社・磐座神社という扱いになっているようです。
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